プラネタリウムスピリット(5)

メガスターは歴史に?
なぜかこのところ取材が来る。なかなか時間も割くが、貴重な記事ということでできるだけ協力している。ところで、やはり一般ピープルの関心は、なぜこういうものが、個人の私に作れて、メーカーは作らないのか?といった点だ。私はメーカーの中のことは何も知らないので答えようがない。ただ、作れないのではなく作らないのだということは分かる。メーカーもいくつかあるにも関わらず、メガスターのようなものをどこも作ろうとしなかったのは、それなりの根拠があると見るべきだろう。作ろうとしないだけだ。作った私の方が非常識なのだ。
 はっきりしていることは、たった一人の個人にできるようなことを、社員何百人の企業がその気になればできないことはありえないということだ。組織力とは恐るべきものだ。私自身、平日は一介のサラリーマンとしてそのことは、ある程度分かっているつもりだ。
 以前、あるプラネタリウムメーカーの開発者と話をしたとき(我ながら大先輩に向ってなんて失礼なんだろうと思いつつ)「メガスターをお宅は作れるか?」と訊いたことがある。相手は「作れる」と答えた。当たり前だと思った。メガスターの真髄は原板。だがそんなものは作ろうと思えば作れるだろう。もしできなかったら外に頼めばいい。線幅0.22ミクロンのチップを載せたゲーム機が5万円以下で秋葉原で売られている時代だ、0.5ミクロン以上ものピンホール原板など作れる技術は世の中にごろごろしている。あえていうなれば、問題は金だけだ。

 100万個もの星を映すなどということは今のところ私しかやらない。なぜだろう?そんなことをする必要がないからだろう。でも本当だろうか?本当かもしれない。でも、それは誰が判断するのだろう?私ではない。メーカーでもない。プラネ界の専門家でもない。それは投影を見に来るお客さんなのだ。一般の、天文に特別の知識などなく、ただ星を見たいから、ただヒマだから、学校の宿題だから、子供が連れていけとうるさいから、彼女(彼氏)とロマンチックな雰囲気を楽しみたいから・・ドームに入ってくる人たち。彼らが普通のプラネタリウムの空を見て、メガスターの空をみて、何と感じるだろう?それに尽きると思う。

 今は分からない。当たり前だ。まだ一度も公開していないのだから。メガスターの星空を見たことがあるのは、今はまだ、ごく一握りの専門家だけだ。彼らは、自分たちの良く知っている天体を、人工の空で初めてみつけて、銀河を双眼鏡で覗いて狂喜していた。だが一般向けとなると意見は大きく二つに分かれた。マニアにしか分からない?一般客にも通じる?
 やはり分からない。予測がつかない。答えを出すには、人に見せるしかない。一般大衆に見せるのだ。そして、どう受け入れられるのか見届けたい。それが、今の私の一番の目的だ。世界じゅうの誰もがやらなかったことを私はやった。それは意味あることなのか?答えを出すには、それしか方法がない。

 あるメーカーには嘲笑われさえしたメガスター。まあ今はそんなものだろう。だが、もしそれが世間で受け入れられ、必要なものだと認知されたら、当のメーカーも、追従を余儀なくされるだろう。技術的には大したものではないのだから、その気になればすぐのはずだ。メガスタータイプのプラネタリウムの開発をメーカーが考えるようになったとしたら、私の思想が全面的に裏付けられることになる。そして、私はこの道の先駆者となれる。プラネタリウムの歴史に足跡を残すことができる。プラネタリウムの発達は、いくつもの偉大な革新によって支えられてきた。ツアイス1からユニバーサリウム、あるいはデジスターまで。自分がとことんのめりこんだ道だから、足跡のひとつも残したいじゃないか。私はそうなることを、ひそかに夢見ている。

2000年4月23日