年 |
製作・開発 |
発表・公開 |
その他の活動 |
主な社会現象 |
1991年 |
・本体組立が始まる |
・制御コンソール設計製作(システム1)
・太陽投影機製作。朝夕投影機を太陽に同架 |
・ブライトスター。個別光源。またたき回路(フリッカードライブ)組込み |
・新制御システム システム2構想。I/Oインタ^ーフェース製作 |
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・プラネタリウム3号機「アストロライナー」を日大生産工学部 学園祭にて初公開
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1992年 |
・システム2のI/Oカードによる現システム機能拡張。変換カードで対応。信頼性強化 |
・3月公開後、システム2の製作
・新型太陽、惑星投影機の設計製作。ただし惑星は間に合わず、太陽のみ完成(8月) |
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・日大体育館にて機器調整を兼ねたデモ公開(3/1-8) マスコミ多数で報道 |
・茅野どんばん祭り(長野県)で公演 台風に見まわれつつ成功(8月)
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・ワールドテクノフェアin千葉に出展(9月)。幕張メッセ。日大の代表として |
・広島県蒲刈町にて公演(10月)。 |
・日大体育館にて2度目の学園祭公開(11月) 撤収時に本体落下事故発生
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・卒業研究で大内・竹島研究室に配属。テーマとしてプラネタリウムのまとめが認められる(4月) |
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1993年 |
・本体修理作業着手なるも進まず |
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・修理作業に着手。改良なども含め |
恒星原板の微細化検討 4μルールへ |
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・かすがい祭りで公演。北天恒星球のみで日周運動など一切せず。(10月) ビデオ映像との連携 |
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・卒業時 日本大学優秀賞を受賞(3月) |
・大学院浪人 |
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1994年 |
・日周軸の信号系を光スリップリングに。電力スリップリング小型化 |
・本体外装色を白からメタルグリーン色へ 新型薄明投影機(3色9光源)
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・マイクロプロッター制御ソフト改良。マスターレプリカ。マップドフォーカス方式。4μ試作成功
・恒星数を45000個に |
・ドーム用生地が見つかる |
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・株式会社アラコ文化祭にて、破損後初の復旧公演(5月)。恒星原板装てんミス。星座の大部分が正しく投影されず
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・野辺山スキー場にて公演。完全復旧にて。8ドーム破損。廃棄 |
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・大学院進学(日大理工学研究科精密機械工学専攻) |
・画像処理ハードウエア研究に着手。高速移動物体追跡オプティカルフロー |
・ビデオ帯域高速A/D変換実験。ノイズ影響大きく |
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1995年 |
・場内照明用 蛍光灯調光インバータ開発。チョークトランス方式考案で2000倍レンジ。トラ技に投稿
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・新エアドーム完成。直径10メートル密閉型 |
・オリジナルバス仕様 システム3の構想。パラレル高速バス 階層マルチプロセッサ |
・原板フォーカスサーボ技術を検討開始
・超小型モバイルプラネタリウム「アストロライナー2」の構想 |
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・富士山観望会(スカイウオッチャー誌企画)10メートルドーム初披露 |
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1996年 |
・惑星投影機を完成。うち1台を急きょ百武すい星に
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・アストロライナー2の基本構想まとまる 本体重量30kg以下。恒星数100万個超、サブミクロンを照準に |
・インターネットホームページ「スーパーリアルプラネタリウム」開設(8月) |
・アストロライナー2のメカ設計完了。組立開始。 |
・新原板製造装置「スーパーマイクロプロッター」製作開始 アルゴンレーザ購入 |
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・卒業記念公開 日大理工体育館にて。百武すい星をプログラムに |
・IPS(国際プラネタリウム協会)入会。大阪大会にてアストロライナー口頭発表 海外から多数の反響 |
・世田谷区 弦巻中学校ドームにて投影。テレビ東京の依頼。番組企画。アストロライナー最後の実演となる |
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・オプティカルフロー処理ハードウエア完成。移動物体追跡実証。修士論文で発表 |
・日大理工学研究科修了。電機メーカー生産設備部門に就職 |
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